2016/07/05
篠ノ井駅に近い市街地にある布施氏館は、
内堀の地名を残し、明治頃までは堀の原形が残っていたらしいが、
今では狭い水路にある堀の痕跡を認めるにすぎない。
この館の主とされる布施氏は鎌倉時代に英多(あがた)庄
(長野市松代町)地頭職であった平林氏の一族で、
初めは山布施(長野市篠ノ井)に居住したため布施と称したという。
永享(えいきょう)9年(1437)の資料に村上頼清の使者として
布施伊豆守の名前が見えるが、
布施氏館に居たものかは確証がない。
館の跡地は現在は公民館、神社、駐車場になっている。



参考書籍:北信濃の城
内堀の地名を残し、明治頃までは堀の原形が残っていたらしいが、
今では狭い水路にある堀の痕跡を認めるにすぎない。
この館の主とされる布施氏は鎌倉時代に英多(あがた)庄
(長野市松代町)地頭職であった平林氏の一族で、
初めは山布施(長野市篠ノ井)に居住したため布施と称したという。
永享(えいきょう)9年(1437)の資料に村上頼清の使者として
布施伊豆守の名前が見えるが、
布施氏館に居たものかは確証がない。
館の跡地は現在は公民館、神社、駐車場になっている。
参考書籍:北信濃の城
2016/07/04
象山恵明禅寺(ぞうざんえみょうぜんじ)。
延宝5年(1677)真田幸道開基、本庵禅師の開山。
二世は良寂和尚。
幸道の帰依厚く、妻法霊院の霊屋を建てた。
幸道、信親の位牌を安置。
数度の火災で伽藍焼失、
現在の本堂、霊屋は天保4年(1833)再建。




長野市松代町西条。黄檗宗。
延宝5年(1677)真田幸道開基、本庵禅師の開山。
二世は良寂和尚。
幸道の帰依厚く、妻法霊院の霊屋を建てた。
幸道、信親の位牌を安置。
数度の火災で伽藍焼失、
現在の本堂、霊屋は天保4年(1833)再建。
長野市松代町西条。黄檗宗。
2016/07/04
総本山は奈良・長谷寺。
延暦22年(803年)、寛空上人が開山。
坂上田村麻呂が建立。
武田信玄、西条美作守、真田幸道の信仰が篤かった
木造千手観音菩薩立像などの木造3体は
現在国の重要文化財に指定されている。





ホームページ
http://www.seisuiji.jp/site/index.html
住所:長野市松代町西条147
宗派 真言宗
延暦22年(803年)、寛空上人が開山。
坂上田村麻呂が建立。
武田信玄、西条美作守、真田幸道の信仰が篤かった
木造千手観音菩薩立像などの木造3体は
現在国の重要文化財に指定されている。
ホームページ
http://www.seisuiji.jp/site/index.html
住所:長野市松代町西条147
宗派 真言宗
2016/07/04
天正2年(1574)西条隼人正尚昭が開基、善室和尚の開山。
正保年間に焼失。
1648年(慶安元年) 信之の三男勇人正信重により再建。
霊屋は重要文化財。




住所
長野市松代町西条905
宗派 浄土宗
正保年間に焼失。
1648年(慶安元年) 信之の三男勇人正信重により再建。
霊屋は重要文化財。
住所
長野市松代町西条905
宗派 浄土宗
2016/07/04
松代の神田川の西岸、西条小学校の北側にある神社。
創建は不詳。
永禄年間(1558ー70)兵火焼失、
永禄12年(1569)社殿再建。
社殿は、本殿流造、拝殿、社務所、神樂殿、宝藏庫。
境内の杉は善光寺御開帳の折切り出され回向柱として奉納。


住所:長野県長野市松代町西条2
創建は不詳。
永禄年間(1558ー70)兵火焼失、
永禄12年(1569)社殿再建。
社殿は、本殿流造、拝殿、社務所、神樂殿、宝藏庫。
境内の杉は善光寺御開帳の折切り出され回向柱として奉納。
住所:長野県長野市松代町西条2
2016/07/02
千曲市の近くにある「雨宮の渡し」
北国往来の交通の要衝であり幾度となく戦いがありました。


頼山陽(らいさんよう)の詩碑が建っている。


また近くの森地区はあんずの産地です。

北国往来の交通の要衝であり幾度となく戦いがありました。
頼山陽(らいさんよう)の詩碑が建っている。
また近くの森地区はあんずの産地です。