2016/08/30
四阿火山カルデラの断崖を流れる米子大漠布。
落差85mの不動滝と落差80mの権現滝は、
日本の滝百選に選ばれている名漠。
対岸から眺める二条の滝が並び落ちる様は壮観。
山に行く途中で猿に遭遇。
他にはカモシカ?の親子にも遭遇しました。
落石が多いため雨の日は気を付けてください。

駐車場入り口付近

滝に行くまでには小さな滝がいくつも見られました。
整備されているもののかなりきついです。



米子不動院奥の院到着


ここで右手に行くと不動滝。左に行くと権現滝。

落差85mの不動滝



落差80mの権現滝

途中二か所ほど熊用の鈴あるため鳴らしてください。


雨の日に行ったためぬかるみが多く、
道には落石がありました。
足元が悪いため厚底の靴を履いてください。
悪天候のため二つの滝は同時に見られませんでしたが
迫力がありました。
紅葉の時期は大変込みます。
落差85mの不動滝と落差80mの権現滝は、
日本の滝百選に選ばれている名漠。
対岸から眺める二条の滝が並び落ちる様は壮観。
山に行く途中で猿に遭遇。
他にはカモシカ?の親子にも遭遇しました。
落石が多いため雨の日は気を付けてください。
駐車場入り口付近
滝に行くまでには小さな滝がいくつも見られました。
整備されているもののかなりきついです。
米子不動院奥の院到着
ここで右手に行くと不動滝。左に行くと権現滝。
落差85mの不動滝
落差80mの権現滝
途中二か所ほど熊用の鈴あるため鳴らしてください。
雨の日に行ったためぬかるみが多く、
道には落石がありました。
足元が悪いため厚底の靴を履いてください。
悪天候のため二つの滝は同時に見られませんでしたが
迫力がありました。
紅葉の時期は大変込みます。
2016/08/30
須坂市動物園横のテニスコートの近くにある須田城。
歩道も整備されていて登りやすいです。

須坂藩主第十三代須坂藩主堀直虎霊廟









住所:長野県須坂市臥竜3丁目(臥竜山公園)
駐車場:臥龍公園の無料駐車場を利用
歩道も整備されていて登りやすいです。
須坂藩主第十三代須坂藩主堀直虎霊廟
住所:長野県須坂市臥竜3丁目(臥竜山公園)
駐車場:臥龍公園の無料駐車場を利用
2016/08/29
1493年(明応2年)に天英祥貞和尚が開かれた。
須田氏・武田信玄・松平忠輝などの諸侯篤く遇し、
須坂藩主堀家の菩提寺である。






場所:長野県須坂市臥竜3丁目3−1
宗派:曹洞宗
隣接した小高い山は須田城。
須田氏・武田信玄・松平忠輝などの諸侯篤く遇し、
須坂藩主堀家の菩提寺である。
場所:長野県須坂市臥竜3丁目3−1
宗派:曹洞宗
隣接した小高い山は須田城。
2016/08/29
須坂市米持にある米子瀧山不動寺。
真田家子孫のお寺。
本尊である不動尊は、日本三大不動尊のひとつ。


パワースポット認定寺院。菅谷不動尊ご分身






一願不動尊

弘法大師ご尊像

薬師如来(医王堂)

愛染明王(愛染堂)



福寿瀧・不老瀧

宗派:真言宗豊山派。
真田家子孫のお寺。
本尊である不動尊は、日本三大不動尊のひとつ。
パワースポット認定寺院。菅谷不動尊ご分身
一願不動尊
弘法大師ご尊像
薬師如来(医王堂)
愛染明王(愛染堂)
福寿瀧・不老瀧
宗派:真言宗豊山派。
2016/08/29
西尾張部の尾張城跡公園。


築城年月日及び城主姓名不詳。
「科野佐々礼石」には、
尾張部三郎がここに居館して、当村一村を支配したが、
永禄のはじめ武田氏に降って、
この屋敷を引き払ったとある。
標高342m。
築城年月日及び城主姓名不詳。
「科野佐々礼石」には、
尾張部三郎がここに居館して、当村一村を支配したが、
永禄のはじめ武田氏に降って、
この屋敷を引き払ったとある。
標高342m。
2016/08/29
築城年月日及城主不明。
里俗伝に応永中(1394-1427)井上左馬介光頼舎遠江守居城し、
後村上氏の幕下となる。事跡不詳。
弘治永禄に至り武田氏の所有となる。
本城には、天正10年上杉景勝の所有になり、
その幕下本田安房守が居住したとあるが、
上杉氏が会津に去ると本田氏もこれに従って廃城になった。

本丸の南東隅は柳原中俣の城山稲荷社。
各曲輪は城跡の道でわかる。
昭和の頃までは身の丈ほどの土塁や堀が残されていたが
道路拡張のため失われて今はない。
標高337m
長野から須坂方面に行く途中のベイシアと柳原駅入口の信号機の間にある二つの
信号の間にある道から右に入っていく。
右手に小さい神社がありますのでその脇に数台車が止められます。
2017.9.23 信濃の山城と館2,参照
里俗伝に応永中(1394-1427)井上左馬介光頼舎遠江守居城し、
後村上氏の幕下となる。事跡不詳。
弘治永禄に至り武田氏の所有となる。
本城には、天正10年上杉景勝の所有になり、
その幕下本田安房守が居住したとあるが、
上杉氏が会津に去ると本田氏もこれに従って廃城になった。
本丸の南東隅は柳原中俣の城山稲荷社。
各曲輪は城跡の道でわかる。
昭和の頃までは身の丈ほどの土塁や堀が残されていたが
道路拡張のため失われて今はない。
標高337m
長野から須坂方面に行く途中のベイシアと柳原駅入口の信号機の間にある二つの
信号の間にある道から右に入っていく。
右手に小さい神社がありますのでその脇に数台車が止められます。
2017.9.23 信濃の山城と館2,参照
タグ :中俣城
2016/08/26
2016/08/24
2016/08/14
松代の観光のことならこちらへ
電動自転車が借り、お寺巡りをしました。
電動自転車なら山道もすいすいと登れます。


〒381―1231
長野県長野市松代町伊勢町577
電話 026―285―0070
電動自転車が借り、お寺巡りをしました。
電動自転車なら山道もすいすいと登れます。
〒381―1231
長野県長野市松代町伊勢町577
電話 026―285―0070
2016/08/14
江戸末期から昭和初期まで質屋等を営んでいた商家・金箱家の旧宅。


住所:長野市松代町松代1226-2
住所:長野市松代町松代1226-2