横田城
2016/07/14
源平の横田河原合戦や応永七年(1400)の大塔合戦、
さらに甲越戦争で使用されたとされる横田城、
大塔合戦では守護方が立てこもった大塔城(大塔古要害)なども館とすれば
不明な点が多い。
横田城今、篠ノ井合会にある館跡のことを指しているが、
横田の地は南方一キロほど離れており、
別に砦跡の伝承があった節がある。
会集落は全体の二重の水路に囲まれた環濠集落のような形をしており、
中世後期の典型的な館跡であって、
戦時の陣城ではないらしいが、
その主は不明である。




土塁が見られます。

横田にある観音寺(横田418)

参考書籍:北信濃の城
さらに甲越戦争で使用されたとされる横田城、
大塔合戦では守護方が立てこもった大塔城(大塔古要害)なども館とすれば
不明な点が多い。
横田城今、篠ノ井合会にある館跡のことを指しているが、
横田の地は南方一キロほど離れており、
別に砦跡の伝承があった節がある。
会集落は全体の二重の水路に囲まれた環濠集落のような形をしており、
中世後期の典型的な館跡であって、
戦時の陣城ではないらしいが、
その主は不明である。
土塁が見られます。
横田にある観音寺(横田418)
参考書籍:北信濃の城