旭山城

旭山(783メートル)は長野市市街地から西方に
望まれれる印象的な三角形の山である。
東方中腹に平柴集落のある台地があり、
山裾を裾花川が巻いている。
山塊には山城が三つあり、山頂を旭山または旭城、
中腹大黒山を大黒山城、
台地突端の小柴見地籍にある城を小柴見城と呼んでいる。
中世信濃の一方の中心地善光寺とその門前に近いことから、
この地で信濃史に関わる重要な事件が起こっている。
南北朝時代には、
平芝(平柴)に守護が政務をとる守護所があった(「市河文書」)。
嘉慶元年(元中4年、1387)には国人連合の軍勢が守護所を攻めた。
守護所の地は三城のいずれもあるらしい。
 次いで、室町時代の文安3年(1446)、小笠原氏は惣領相続係争の末、
宗康と持は武力で衝突、漆田(長野市中御所付近)から大黒塚(大黒城らしい)で合戦し
持長が勝利した。
しかしこれにより信濃の守護大名小笠原氏は分裂が決定的になり、
この戦いで信濃の戦国乱世ほ促進させる出発点になった。
 戦国時代の甲越戦争では山頂の旭山城が両軍の拠点となり、
大規模な戦国城郭に改修された。
弘治元年(1555)に栗田氏が武田について旭山城に入り、
武田晴信はこれに兵三〇〇〇、弓八〇〇、鉄砲三〇〇を送り込んだ(「妙法寺記」)。
苦しんだ上杉景虎は、
和議が成ったあとに城を破却した(「歴代古案」)が、
翌年葛山城が落ちると今度は旭山城を再興し本陣としている。
書籍「北信濃の城」より。

アクセス
長野県庁前の交差点から山側(西側)に進むと裾花川に突き当たるので左折、
次の相生橋の信号を右折。
橋を渡った左手に郵便局があるので右手前に行くと平柴地区に入ります。
「朝日山観世音堂」への案内がある。
細い路地を対向車に注意しながら行くと朝日山観世音堂があります。
そこに駐車場がありますので止めます。
※上にも路肩に駐車スペースがありますがこちらのほうが無難。
朝日山観世音堂の駐車場よりさらに上に歩くこと5分くらいで
「旭山自然探勝路」の看板あり、右折すると遊歩道の入口があります。

長野県庁前の交差点から見える旭山。
旭山城
朝日山観世音堂
旭山城
朝日山観世音堂からの眺め
旭山城
看板あり、ここから城跡までは0.5km
旭山城
1人がやっと通れるくらいの遊歩道。
足を踏み外すと危ないです。
距離はありませんが遊歩道は狭いし急坂のため気を付けてください。
旭山城

旭山城

旭山城
あと0.3km付近に平らなところがあります。
旭山城
城跡手前には左右に道が分かれていますが、右手に行くと城跡に到着します
旭山城
下から見た城跡。
旭山城



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